7月20日、歌舞伎の玉三郎さんをはじめ4名の方々が「人間国宝」の認定を受ける、というニュースに接しました。
大蔵流の山本東次郎さんがいらっしゃるのを見て、ひとり感動いたしました。
東次郎さんと初めてお会いしたのは、2005年9月3日、「日本の文化を軽井沢から世界へ」のコンセプトで開かれた「軽井沢 南ヶ丘 能」—南ヶ丘倶楽部「千ヶ滝舞台」でした。「能」や「狂言」への理解も浅い私が、大胆にも、公演終了後のパーティーの司会をお引き受けしたのは、
- 「30年の流浪のフライト生活の体験」の後に、日本に定点居住することで、改めて日本固有の文化・自然の深さを認識したこと
- 私が体験した限り、気候風土で言えば、「四季」がほぼ等分にあるのは、日本しかない
- その日本では、四季に応じて「景観」「衣服」「食事」「住まい」のすべてに彩と移ろいがある
- 私を含めて日本人は、日本のことを知らな過ぎる
という思いからでした。
それにしても、当時の私のレベルは、「能」は、難解ながら「狂言」は、多くの知識がなくても「面白い」と言う程度のものでした。
恐れを知らぬ浅薄な私は「能を観劇していると、自分が寝ているのか起きているのか、わからない状態になることがあるんです・・・。」と東次郎さんに能天気に申し上げたところ、なんと「それでいいんですよ。夢と現のはざまこそが能の世界なんですよ」と慰められました。
この一言で、肩の重荷が下りたように「能・狂言」への理解力が飛躍的に伸びました。成田空港内或いは周辺に「常設能舞台を」と提言したのもこの頃からです。
その後、「山本会」—国立能楽堂、メディアを通じての演目を拝見させて戴いております。
大袈裟に言えば、あの時のあのひとことは、私を「日本人」として甦らせる起爆剤にもなったように思えます。
「人間国宝」として認定されたことへのお祝いを申し上げると同時に、日本が国家として経済的にも「伝統芸能」を支える政策を緊急に強化すべきだということも痛感しており、強く指摘したいと思います。
※「軽井沢 南ヶ丘 能」は、㈱浄玻璃、㈱ブール・ジャパンによって開催されました。