安倍元外相と笹川良一さんとの逸話

安倍晋三氏が亡くなって一年。メディアは、世界に誇る『我らがダイヤモンド憲法』………私は1946年1月に生まれましたので、施行されて行く経過をずっと見てきた『生き証人』でもあります。現状は、若い世代が『憲法』を知らない、読んだことも少ない!という気配を感じています。

さて、私は、現役乗務時代のNYC便 NYC/TKOで安倍晋太郎外務大臣をお迎えしました。安倍晋三秘書官を含めて6〜7名のご一行と憶えております。

予約席は、ジャンボ機のアッパーデックは、外務大臣ご一行だけという空間でした。

ボーディングタイムも当て数分というところで、やはりVIPの笹川良一さんご一行がこられました。笹川良一グループは、ファーストクラスのとても良い位置を占めておりました。やはり8名ぐらいで。

笹川良一さんの最初の一言は、『安倍晋太郎君はどこかね?』でありました。

私、『お二階におられます。ご案内いたしますか?』笹川良一さん『うん!ちょっと行くわ。」

螺旋階段を上ってアッパーデックへ‼️

笹川さん『おー阿部君‼️』とエールを送りました。

驚いたのは、この時安倍晋太郎大臣以下全員起立して深々と礼をしたことです‼️‼️

そして『ここなかなかいい席じゃのう‼️下と代わってくれんか?』と述べたことです。

もちろん安倍晋太郎大臣は、『かしこまりました』のひとことでありました。

さて、運航側からすれば、出発時は様々な確認事項もあり、予測不可のこうしたVIPの団体移動は、それぞれが不満を漏らしており、そこを調整するためパーサープラスアシスタントパーサーをその任に当たらせました。

やっと巡航高度に達した頃、報告がありました。調整役のご子息の秘書官が使い物にならない‼️と異口同音に不満を漏らしておりました。

1975年ごろの風景をこの日にまた思い出してしまいます。

一方で笹川良一さんは、全員が寝ている時も、一人、リーディングライトで読み書きをしていました。

私は、『なにかおもちいたしましょうか』とアプローチしたところ、お話しとなり、30分ほどいろいろな話を伺うことになりました。その時の印象は、怪物的エネルギーをお持ちだ!という感想でした。

まだ、この時の驚きは他にもありました。成田到着でしたが、ドアオープンするや否や、成田支店長が飛び込んできました。支店長『どこにいらっしゃる?』ときました。『安倍晋太郎外務大臣は、そちらに。』と私。

「違うよ!笹川良一先生‼️』

私、アッパーですから案内します。F支店長はトトトンと駆け上っています。

F支店長の第一声は「わたくし、支店長のFでございます。Fでございます。』と2回繰り返したのです。

そののち、安倍晋太郎外務大臣に挨拶に赴いておりました。

たまたま私が乗務前の訓練として羽田国内支店勤務を命じられました。2〜3ヶ月実習をしましたが、この支店の総務課長がそのF支店長でしたので、鮮明な記憶として残りました。F支店長は、半年後に役員になっておりました。

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