「LCC」の問題が大きく取り上げられています。
「安いが一番!」と「拝マイレージ」が全盛の消費者動向のようにも見えます。
時代遅れの感傷なのかも知れませんが、最近、気になっていたことがあります。
どこのエアラインでも特にエコノミークラスの機内では、余裕と言うか旅情というか、そういう面での柔らかさがなくなってきているのではないか、ということです。
何がこうさせているのだろうか?とよく観察してみると「乗客」と「乗客」の会話や、「乗客」と「客室乗務員」の会話と触れ合いが極端に少なくなっています。
原因は、「客室乗務員の配置数が減っている」ことや「ユーモアのある会話ができるほどの経験や訓練が行き届いている者が少なくなっている」こともありますが、「乗客が外国人客室乗務員では、細かい話が通じないから話さない」と言う気配も感じます。
日本のエアラインに日本人が乗っている場合、いわゆる「コールボタン」は頻繁にひかれますが、英米仏系のエアラインに乗った場合は、殆ど猫のようにおとなしくしている光景と同じで、言葉の問題は、結構重みがあります。
かつてに比べれば、今時の機内のエンターテイメント装備は、とんでもなく発達して、乗るほうが「退屈」することもないようにできています。ナイトフライトで皆が寝静まっているときに窓のシェードをそっと開けて「星空」や「雲海」を眺めている光景もあまりイメージ出来ない昨今でしょう。
「安全に対して敏感な私」ですら、イヤホーンやヘッドフォーンをして個人画面を眺めている折に、映画を中断されたりするとコックピットや客室乗務員のアナウンスさえ「煩わしいなぁ」と思えてしまうこともあります。
そして、よく考えてみると、客室乗務員との会話と言えば「お食事ですが、どちらになさいます?」「お飲み物は?」の問いかけに、イヤフォーンの片耳をずらして「注文する」というだけと言う経験をしている方も多いのではないでしょうか。
「エンターテイメントの装備」、「一番収益性の高いビジネスクラスの座席」に思い切り投資をした分、エコノミークラスの座席は、50年このかたその快適性は殆ど変わらず、機内食はみすぼらしくなる一方です。狭い機内と狭い座席、「食べて」「観て」「寝る」ことでフライトタイムが過ぎ行くのを我慢するという具合だと思います。
この辺で、LCCを「黒船」扱いする合間に、「フルサービスエアライン」の在り方についても再度考える必要があるのではないかなと思います。
特に、最近「観光立国ニッポン」の目玉は、「おもてなし」にあり、サービスと言う概念のない中国・アジアでは、需要も大きく、その「おもてなしソフト=接客」を輸出することが出来るという論も良く見かけます。
また、地方空港を巡る日本全国で、観光客に対する「おもてなし」としてその地方の「温泉・景色などの自然」「伝統と文化」をツールとして観光客に対する「おもてなし」の気持ちを表さなければ・・・ということも声を大きくして語られています。
さて、「世界一の肌目細かいサービス」で「オリエンタルマジック」を演出し、世界に名を成した日本の航空が、肝心の機内で、どんなことになっているのか、考え込むことがあります。
いつ頃から航空業界にLCCという略語が付き纏うようになったのでしょうか?
私が知る限りでは「安全運航」が最大の評価だった筈です。
それが今や「何処が安いか?」・・・そんなにしてまで海外旅行に出かける意義は?
私が海外旅行をよくしていた頃は、乗客同士の会話、キャビンアテンダントとの話、果ては操縦士から聞く貴重な体験談・・・
現代日本人は「行ってきた!」という話題を持ち帰るだけになっている様な気がしてなりません。
安心して身を預ける事の出来るナショナル・フライトを待ち焦がれている人間もいるのです。