「覚醒させよ!」ニッポンの「もてなし」

途中経過、賛否はあるにせよ、待ったなしで2020年のオリンピックが東京にやってくることになりました。「放射能汚染水漏れ」が世界で心配されている状況からすれば、IOCの思惑なども絡み、今回は「奇跡的な呼び込み成功」であったようにも思えます。

「プレゼンテーション」のなかで、とりわけ目立ったのがまるで東洋の日本人を感じさせない美しい滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」だったように私には感じられました。

決定的なのは、読んだり暗記したりの言葉ではなく、流ちょうな英語・フランス語 が駆使されたこと、そしてその「落ち着いた所作」にあったのではないでしょうか。言葉は大切です!グローバルとかインターナショナルな雰囲気を十分にかもし出されたように思えます。

1945年終戦後ニッポンは「フジヤマ・ゲイシャ」という解りやすい表現で名をはせたこともあります。まず、世界文化遺産として指定されたことからもわかりますが、富士山といえば、その「美しい姿」とともに、古より「日本人の精神的支え」という側面もある、ということはワールドワイドで知られてきました。

では「ゲイシャ」はなんでしょうか。もちろんKimonoを着て踊り謡う美しい「芸者・芸奴」さんそのものに感動する面もあったと思いますが、「蝶々夫人」に描かれた如く日本女性の心のたおやかな側面まさに「もてなし心」を代表したワードではなかったのかとも考えられます。

ちなみに、明治維新をふり帰れば、当時の槇村府知事によって日本初の「京都博覧会」が催され、その華やかさの象徴として、「都をどり」も催されたものと聞いています。座敷舞であった芸術を「都をどり」として舞台化した企画などは、なみなみならぬセンスだと思います。

今更ですが、京都は日本の歴史文化の原点でもあり、関東生まれ育ちの私などはまさに「光は西方より」と感じ続けている次第です。

さて、日本が戦後の経済成長を極めた1960年代~1990年代は、有力な商社・銀行・機械/自動車/電気メーカーなどの多くの企業が世界へと飛び出しました。

幸運にも、その奇跡的な30年間を世界へ向けての日本の足(翼)として活躍してきたエアラインに乗務してきた私は、搭乗目的(ビジネス・観光・冠婚葬祭)を問わず、クラスを問わず(ファースト・ビジネス・エコノミー)数十万人の旅客の皆様と接して参った経験を持ちました。

この間は、いかに「美しくも気持ちよい、いざという時に頼りになる客室乗務員を育てるか」ということ「一点」に腐心していたことを思い起こします。

さて、2020東京五輪は、「日本のもてなしとは、これだ!」ということを世界に示す最大のチャンスでもありますが、同時にニッポンのいう「お・も・て・な・し」ってこんなもんだったの?という危険性も含んでいます。

観光・旅行業からすれば「経済成長を遂げるアジアは絶好のマーケット」ということはもはや常識ですが、同時に「アジア人こそホスピタリティーで競う場合は、最大の敵でもある」と認識しています。(サービスという概念がなかった国は除くとしましても・・)「遠交近攻」という言葉も思い起こされます。

さまざまな労働環境変化があったとはいえ、ニッポンの多くのサービスが「安くて便利」に傾き「表層崩壊」している状態もあると感じます。しかし、国民的にそういう自覚は少ないのではないでしょうか。

次回からりアルな体験をもとに「私ならこういうSituationでは、こうする!」ということを考えていただけるようなお話を書き綴りたいと思います。

 

 

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