JAL123便御巣鷹山墜落事故から28年!!航空は、安全への教訓を生かしてきているだろうか?

明日8月12日は、私にとっても特別な日であります。

最近、「相模湾の深海サメを探査する」番組を視聴しました。500~1000メーターの深海までカメラが回っているのを知りました。

この123便事故で喪失した「尾翼の大部分・圧力隔壁」などは今もこの相模湾に沈んでいるはずです。事故後数か月は、捜索されたようですがすぐに打ち切りとなりました。

エールフランス447便墜落事故(2009年2009年6月)はその後に「事故原因究明のためにフランス政府は原子力潜水艦まで動員しました。」

「失われた尾翼」には、事故原因を更に明らかにする証拠が含まれていることと確信します。事故調の報告のみならず、「再調査・再捜索」を願うものです。

墜落のショックは・・・。123便

墜落のショックは・・・。123便

参考:アシアナ航空サンフランシスコ空港着陸失敗時座席

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私が乗務した30年は世の中の流れからすれば「ほんの一瞬」に過ぎませんが、5回※の墜落事故を体験したこと(私がその便に乗務していても不思議ではなかった、乗員乗客のほとんどの命が奪われたという戦慄など)は、フライトに従事し、、事故に遭遇し亡くなられた方々に替わって「生きている者として、二度と同じような事故を起こさないためのなにかをしてゆかねばならない!」と誓った日でもあるからです。

あの日も暑い夏でした・・。

※5回とは、

1972年 6月14日 ニューデリー墜落事故

同   11月28日 モスクワ・シェレメチボ空港墜落事故

1977年 9月27日 クアラルンプール墜落事故

1982年 2月9日 羽田沖墜落事故

1985年 8月12日 123便御巣鷹山墜落事故  をいいます。

あの大事故から28年の歳月は、あっという間に流れました。

航空機の「事故を起こさないための安全対策」は、事故直後は話題ともなりますが、その一方で「成長戦略」の同義語のように「規制緩和」が叫ばれて、日に日に「安全上の規制」をも緩められているのが実態といえます。

LCCの登場によって「航空界・航空利用者にとって革命が起きた」という言葉をよく聞きます。確かに「格安運賃」によってこれまで飛行機の利用ができなかった層への利用者拡大、競争激化による利用者が選択できる利便性、空港発着時間の延伸(24時間空港)など、目に見えて利便性が高まった分野もあります。

しかし、その背景には、「利用者から良く見えない、判定しにくい」・・・「安全上のコスト」でコスト削減」行く、そのためには、「航空法」という根本の規制を緩めてゆく傾向が顕著です。

利用者からは選択に当たり、見えないところ・・・・「安全」です。・・・でコストカットの競争が行われている側面もあることも知っておくことが必要と思えます。

過去の規制緩和の経緯

◎航空会社のホールディング化

経営の方針は、ホールディング会社が出しているにもかかわらず、、事故が起きた場合は責任体制が子会社にあり、本質的な責任体制が緩む問題です。

◎キャリーオーバースタンダードの基準緩和

このスタンダードを下げることで、故障個所があっても「修理・パーツ交換」などしなくてもベースとなる基地まで飛行を続けて良い、という側面もでている。

◎整備士の配置数、整備士の資格問題・名称変更

着陸から次の離陸に至るまでに、かつては整備士2名によるダブルチェックが必要でした。

◎燃料補給問題

危険防止のためかつては「乗客が乗降中は、給油は禁止」でしたが・・・。

JAL123便事故については、多くの優れた著作が出されていますが、今回は以下のご一見をお勧めします。

推奨書籍:藤田日出男著 『隠された証言―JAL123便墜落事故』 新潮社、2003年、ISBN 4-10-462001-7(文庫版 2006年、ISBN 4-10-129351-1

藤田さんは、私が乗務していたころから「航空安全会議」の母体をつくられるのにも大変尽力されておられた方で、この123便事故については、「CVR…ボイスレコーダーの開陳・解析」にも奮闘されました。

また、私は、3年がかりで制作された角川映画「沈まぬ太陽」に、元パイロット・客室乗務員・整備などのチームを編成して「監修」として参加いたしました。(角川映画 「沈まぬ太陽」公式サイトCAST&STAFF)この日を契機にご覧いただければ幸甚です。

 

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