スーパージャンボな”エアバス”

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ボーイングか、エアバスか・・。いよいよ姿を現したエアバスA380に迫る! その①
visu_backgrounder_a380
その前に・・・。しばしお時間を。
私が空を飛び始めた頃、(1960年代の後半になりますが、)日本の空は、レシプロからジェットへの転換期でもありました。JALは、東京/大阪、東京/札幌/、東京/福岡などの幹線に大々的に時の最新鋭機材であるB-727を投入しました。私は、それまで飛行機と名のつくものは、せいぜい「船橋ヘルスセンター」のセスナ機による遊覧飛行しか知らなかったわけで、入社後、まず命じられたのは、まぶしく輝くB-727機への「体験搭乗」でした。これから飛行機に乗る者が乗ったことがないでは、話にもならないと言ったところでしょうね。早朝のうちに羽田から大阪への乗客として乗り込み、あっという間にまた羽田に戻りました。
何もかもがきらきらしており、フライトタイムは往復で約2時間あっても、瞬間的な夢のような体験だったように記憶しています。この時、ANAでは、あの「ロッキード1011」が導入されました。これで皆さんも「なあるほど・・・。」と時代背景が見えてくることと思います。
L1011
(画像L1011同型機)
「さて、国際線に目を移しますと、JALは、当時唯一の日本のナショナルフラッグキャリアとして欧米航空各社としのぎを削り、次々に路線を拡大して行く途上でもありました。(右画像コンベア880機)CV880_02その主力となった航空機は、ジェットとしては最初のコンベア880機から、マクダネルダグラス社の新鋭DC-8-30、50シリーズへと移行してゆきました。このDC8機は、段々胴体をストレッチさせることでキャパシティー-を大きくしてゆきました。DC-8-62⇒DC-8-61.
DC8_01JALDC8機
そうです、この頃世界の翼といわれたあの「パンアメリカン航空=PAN AM」は、DC-8-50とほぼ匹敵する性能、定員、航続距離を備えた「B-707」を駆使して世界中をわが庭の如くにしておりました。
avion_b707-321
おわかりのように、ボーイングはまさにアメリカを象徴する航空機であるという歴史を持っているのです。
ナイトフライトも長くなりそうですので、この続きは、次回にお話したいと思います。

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