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 パリに咲いた“二輪草”

   セーヌに流れた川中美幸さんの歌声~♪

5 「和」の代表ともいえる川中美幸さんの歌声が、艶やかにセーヌに響いたあの時、私はその旅をともに致しました。1999年、私が評論の第一歩を踏み出した年でもありました。私もパリを愛すること、人に負けずという手前、旅のアレンジに加わったのでした。

           

014no2 文化放送協賛の「ファンクラブツアー」でしたが、親孝行な川中さんは、お母さんも同道していました。町田で「お好み焼き」を営むお母さんは、飾らない人柄で周囲に暖かな波を送り、一行の旅に明るさを添えていました。

みんなで、「ルーブル美術館」も訪れるなど、歴史ある「洋」の世界を満喫していました。私にとって、今は、「航空評論」が忙しく、なかなかこうした旅の企画には、加われない日常となっている中で、このパリ行の想い出はいまだに温かく、懐かしく、浮かんできます。

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さて、パリといえば、シャンソン歌手の石井好子さん抜きでは、語れません。石井さんは、日本で第一回「パリ祭」を開催し、今年で42回目を数えているそうですが、思えば、私が高校2年生の頃ですから、私たちがパリに憧れる促進剤の役割を果たされていたのかもしれません。

参考ですが→

1963(昭和38)年に第1回「パリ祭」が開催される。今年で42回目。

「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」(暮しの手帖社)はあまりにも有名ですね。第11回日本エッセイストクラブ章を受賞。1961(昭和36年)石井音楽事務所を設立。岸洋子、加藤登紀子、田代美代子等を育てられました。

さて、セーヌのほとりのホテル「Nikko de Paris」で開かれたディナーパーティー。「西洋」の中でも芸術の都と言われたこの地で、聞いた「二輪草」は、かつてのフレーズ「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」を彷彿とさせる、「Nipponの演歌、♪二人は、にりんそうう~♪」は流れる♪・・・・なのでした。

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シャンソンといえば、私が初めてパリにステイしたのは、1968年ごろで、飛行機は、勿論DC8に乗務。ロンドンを主な滞在地にしていた頃でしたから、「パリステイ」は、どきどきするほど興奮したものです。ホテルは雑踏の街、モンマルトルの通りに面した「フランソワ」という小さな宿でした。市場も近くで賑やかでした。当時の慣わしに沿って、先輩が連れて行ってくれた近くの酒場は、シャンソンのオンパレードです。若大将加山雄三やベンチャーズや グループサウンズにうつつを抜かしてきた若者にとって、言葉はわからず、曲も知らない、シャンソンは、苦痛のひと時であったことは、ご推察いただけるものと思います。

日本人の多くのパリツアーを垣間見ていると、大きくて名のとおったホテルに宿泊することがマジョリティーのようです。考えて見ますと、ちまちました街中の小さなホテルに

泊まったことは、パリの生活感に触れ合えるという点で貴重な体験でした。

次回には、かの「フランス料理」を味わうにあたっての「心構え」などを私の体験を交えてお話したいと思います。

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