矛盾に立ち向かう「人間の強さ」は、「『全身を貫く熱きもの』となって皆のもとへ帰ってくる」

東宝「沈まぬ太陽」公式サイトより・・・・。

  ■ 航空監修 秀島一生さんからコメントをいただきました!
    テーマ:コメント
09.10.13 (火)   

映画『沈まぬ太陽』に重要な役割を果たす航空機、航空業界の世界について航空評論家の秀島一生さんに監修をいただきました。
昭和30年代から60年代を舞台に、機内コクピットまわりから羽田空港の状況、そして航空会社のデスクの小道具のディテールまでアドバイスをいただき世界観を創り上げました。
その秀島さんから、撮影現場の状況や完成試写を観た感想をいただきました!

———-

「全身を貫く熱きものありき」

映画化の話がでてから5年程経ったある日、角川映画の担当プロデューサーから一本の電話がありました。「航空監修」の依頼でした。小説「沈まぬ太陽」の切り口の鋭さ、流れの広さに大きな魅力を感じていたこともあり、全編を流れる背景が、「エアライン」である以上、至極妥当なご依頼であると瞬間的に「お受けします」と答えてしまったことをよく憶えています。

そして何事もなく1年半が経過した2008年の夏、「製作・脚本の決定」が知らされました。
ここからは怒涛のような準備に入りました。細かく言えば「カラチ・テヘラン・ナイロビなどの当時の海外支店の風景・支店の中の様子」「エアラインの本社風景、会議室、会長室内風景」「団体交渉など労使の風景、当時の労働組合の事務所や服装」「エアラインの地上職員・整備・客室乗務員・パイロットなど職種の違う制服の検討、ID・社章、エアラインのカレンダーのひとつに至るまで」というものでした。ダンボール何杯分ものセピア色の写真や書類の山になっていたと思います。
撮影「シーン」を想定したものですから「美術や衣装の方々」とは、微に入り細に入りのやりとりです。また、航空機 特に 「コックピット」や「機内キャビン」などの撮影は、残念ながらエアラインの協力を得ることは難しく「ロケーションなのかセットなのか」を決めるまで大分手間取りました。
ジャンボ機のセットなどは、現役に近い元機長が、コックピットのキャプテンシートに座った途端に、反射的にパネルのスイッチをオンして、「まるで、実機と変わらない!」と言わせたくらいですから「美術」の腕の凄さを物語るものでした。御巣鷹山墜落のシーンで使われた「キャビン」も、私が後方に佇んだとき、一瞬「現役に戻った!」感覚がしたくらい精巧に出来上がったものでした。

私は、「報道番組」を仕事としておりますので、だいぶんテレビには、馴染んでおり、また、時々は「セット」を使ったバラエティー・クイズ番組などの出演もありましたので、番組を作る側面は大体知っているつもりでした。
ところが、ところがです。
どんな一面をとっても「映画って凄い!!」と驚嘆しました。とにかく徹底しています。リアリティーを追求する担当の方たちの「粘っこさ・しつこさ」には、「ただただ頭を垂れるしかない」という日々でありました。

そして、コートなしでは立っていられないほど寒い2月の朝。角川大映撮影所内にある「大魔神社」に製作関係者すべてが集まり、撮影の無事と成功を祈願し、クランクインしたのです。いよいよ始まるのです。

シーン撮影は、早朝から半日あるいは数日をかけて行われます。
「十数回のテスト」を要求する方も粘り腰、妥協の限界まで挑む気配です。一方で「本番」の声を何度も聞きながらも、やり直しをする俳優陣もエキストラも大変です。テストの回数が、本番の声が、重なるたびに「どこまでやるのだろうか。」とはじめは、戸惑ったものでした。ところが、へこたれるどころか、ますます気合が入る俳優の方々、どんな役どころでもすべての俳優の皆様が「疲れを見せもせず、繰り返すたびに迫力が加わってゆく」という「不思議な光景」を目の当たりにしました。
「プロの底力」と「この作品と対峙する真剣勝負」のオーラが現場を乱舞していました。、「30年間、毎フライトに、瞬間に、命を張ってきた」自分の姿が重なってくる想いさえも致しました。 「危険と言う実感」とは違う「リアリティー」という目に見えぬ物に「命がけで立ち向かう」ことの方が、よほど難しいのではないか、と考えさせられました。私にとって、まさに「未知との遭遇」でありました。

クランクアップして二ヶ月半、細やかな編集を経て、9月17日、4500名の観客がかたずをのんで待つうちに完成披露試写会の上映が始まりました。「さあ、観客の皆さんは、どう反応するのだろうか。」身体は緊張し、胸が動悸を打ち、手足は軽く痺れてきてしまうほどです。「音」「息使い」「声」「気配」観客の皆さんのすべての動きに、私の体の全機能が反応してしまいました。
「長いはずなのに、短いように感じた」「展開が早く迫力があった」などの声を遠く聞きながら、やっと体をゆるませて、会場を後にしました。

矛盾に立ち向かう「人間の強さ」は、「『全身を貫く熱きもの』となって皆のもとへ帰ってくる」と映画が私に語りかけてくれたように思います。


航空監修 秀島 一生
[公式サイトはこちら]

70

~嗚呼、ああ、「懐かしき我がジャンボ機」、747-400型機の出現があっても、ジャンボ機といえば、これなのです。~

『コンベンショナルという呼び名』

メディアでは、「クラシック ジャンボ」と呼ばれているようですが、日本で一番この飛行機を所有し、かつ運航させてきた日本航空JALのなかでは、ハイテクの象徴747-400が投入されても、「在来機」あるいは「コンベンショナル=従来の、という意味です」と呼ばれておりました。「クラシック」などというのは、いったい誰が命名したのでしょうか。不思議です。私の個人的な思いではあるのでしょうが、「あの名機」をけなされているようで違和感があります。

報道にもありますように、コックピットは3名、つまりパイロットだけではなく航空機関士が乗務しており、航行中の飛行機のシステムに異常はないか、客室内のシステムにも眼を光らせ、多少のトラブルは、航空機関士が現場に足を運び、適切な判断を下しておりました。400型になれば、すべてコンピューター任せになり、パイロット(機長・副操縦士)への負荷も増大します。したがって、パイロットに命を預ける私達も、3名仕様の400型にせよと正面から問題提起していた歴史があります。コスト削減をすべきパートではない、安全を維持しようという考え方があるならば、「4つの眼より6つの眼」ということです。皆様ご存知のように、エアラインがボーイング社に機体をオーダーする場合は、各社によってスペックがちがいます。車で言えば、標準仕様にオプションをつけてゆくようなものです。

400型が導入された当時は、ヨーロッパのエアラインの中には、3名仕様で運航しているところも現実にありました。

だいぶん、よわいを重ねてきた私達の世代にとって、乗員も乗務員も、また、乗りなれた当時の旅客の皆さんにとっても、「ジャンボ機は、永遠のまた、大切なメモリー」なのだと思います。

思い起こせば、高度成長期に日本の屋台骨を背負うように、世界を飛び回っていた「商社・銀行・自動車・電器など」の精鋭の方たちが、暗くなった機内で、ポツンと点けられた「リーディングライトの明かり」の中で、レポートを書かれている姿は、未だに、忘れられません。ここにもジャンボ機がお供をしていました。

B747_01

日本の象徴、富士山を背負いながら飛ぶジャンボ機です。尾翼は、日の丸を彷彿させる「鶴丸」です。

1981_09_21983_01_2 Jal5

国内線は、こういう「タイムテーブル」でした。  (お分かりと思いますが、左は西田敏行さん、右は斉藤慶子さんですね。)

国際線では、「NO1」となった部門もありました、ジャンボ機と呼応した成長です。

B7471 シアトルのボーイング社からデリバーされる「ジャンボ一号機」です。

また、下の写真は機内で配布していた当時の絵葉書です。保存してあります。

Jal6_2                                 Jal4_3 国際線のファーストクラスは、豪華な素材と丁寧かつ人員も配置されておりました。ホノルル経由ロスアンジェルス便は、当時の花形便で、真っ先に「ジャンボ機」が投入された路線でもあります。着物を着用したスチュワーデスが3名も見えます。背景(機首部分)は、日本画が描かれています。現在ファーストクラスは、大体11席程度ですが、このころは、最大32席までありました。キャビアも黒の下地は黄金に輝く粒の大きいものでした。

客室乗務員の編成数も、基本が17名、最大20名という「快適なサービス」を提供していたものでした。同じホノルル便でも14名となり、現在では、外国人(タイ人)中心のJALWAYSが運航するようになりました。

「世界一の安全と快適性」を誇った「JAL」は、「格安と燃油費のハザマの中」、どこに焦点を当てて進むのでしょうか。

ついつい画像が中心になってしまいました。もう少し次回にお話をしたいと思います。

69

~出入国・税関エリアの緩さはこれでよいのでしょうか?~

3月25日「離婚問題で話題を集めている藤原紀香さんがアフリカから帰国」しました。一般の旅行者に対する見送りさえ許されない、「エリア」に、芸能報道陣が、降機してくる紀香さんに「質問」を浴びせていました。

エスカレーターに乗ってイミグレーション審査上へ向かう中で「大して意味のあるコメント」など期待ができないことは、当の報道陣・レポーターも、テレビの視聴者も、実はわかっているのではないでしょうか。

国家へのVIP訪問客、外交上の儀礼(ドアサイドでお待ちする)などは、ある程度は、理解できるのですが、「興味を呼びそうな芸能・スポーツ」に大しては、何の規制もなく「プライバシー」に土足で踏み込むような行為は見ていて、あまり愉快ではありません。

「CIQ終了後に記者会見」と言うルールをつくるべきではないでしょうか。不思議です。

法務省・財務省はなぜこうした行為を特別に許可しているのでしょうか。

「コメント」を得たいのであれば、イミグレーション・税関を通ってから、混乱のない様に適宜な場所を確保して、行うべきではないでしょうか。外国とも同じエリアでなければ、ならない「社会的な役割」などなにもないと思うのですが・・・・。

私の調査した範囲では、メディアの腕章は、各社に渡している、各社の下請け・関係者でもこれを容易に使用できる状態の様です。

これは、「テロ対策」から行っても「甘い・緩い」規制過ぎるのではないでしょうか。

世界中で、「プライバシー無視」「旅行者の迷惑」に何も配慮しない、こんなみっともない光景を見るのは、私の体験では、「日本」だけのような気が致します。

私が執筆・監修しました「飛行機のしくみ」が発売されました。

タイトルは「飛行機のしくみ」ですが「なぜ飛行機が飛ぶのか」から「最新の世界のエアライン模様」「運航を支える現場」に至るまで収めました。字も大きく見やすい図解も豊富です。4月3日に「ぶんか社文庫」として発売されました。皆様にごらんいただければ幸甚です。amazonでご購入の折は、レビューにご意見を戴けると更に幸甚です。

2_4 Photo_3