「備えなく憂いも深く」・・・安全とは、バックアップの厚み!

成田をのぞき「羽田」「関空」「中部」と日本の基幹空港は、いずれも海に隣接しているのが実状です。不幸にして津波被害をダイレクトに受けた仙台空港の模様は、誰もがショックを受けた映像でもありました。

3・11震災被災時の政府機関の対応が次々に明るみに出る中で、航空の危なかった事態も発表されました。

日本としては、9・11の際の教訓を得ていながら、きびきびとした対応が取れなかったことは、残念としか申せません。(9・11の折には、5000機以上の航空機がアメリカ本土で空中待機させられて、多くをカナダに着陸させた事実があります)

~「管制」と「パイロット」の現場~

「管制」からいえば、「想定外」の事態だったということでしょうが、これは、「原発事故」と底流を同じくする問題でもあります。フライトプランでは、天候やトラブルの際の「オルタネート=代替空港」が必ず想定されていますが、「そこも含めて周辺がすべてダメ」な時、というのは、「管制」と「パイロット」の手にゆだねられています。

現在は、「こういうことは決してない」と信じるところですが、

私が「乗務」していた当時は、フライト前に燃料について「パイロットと航務の現場」でよくもめていました。エアラインのコスト管理上からいえば、「余計な燃料を積めば、機体は重くなる。重くなれば、離着陸のバランス上乗客や貨物の搭載量が限られてくる」という思想もあり、現場では、そういう問題が絶えず持ち込まれていました。
「パイロット」からすれば、「いつどういうトラブルがあるかわからない、増して、混雑した空港(当時JFKなどは、過密で3,40分上空でホールディング、旋回待機をさせられていたものでした。)に向かう際などは、法定を多少オーバーしても余裕のある燃料を積んで出発したい」という「空中で乗客の生命に責任を持つ」という立場に立っていたような記憶がよみがえります。

今回の問題では、小林宏之元機長が、「管制の決断」について述べておられますが、「ひとたびドアがクローズして飛び上れば、乗客も乗員もそのいのちは、一体」という感覚からしても、全く同感です。

14機緊急事態 東日本大震災の当日、着陸地変更で燃料不足 管制も混乱

2012.2.27 朝日新聞

 昨年3月11日の東日本大震災の直後、成田、羽田の両空港に向かっていた航空機86機が、両空港が閉鎖されたために降りられなくなり、うち14機は燃料不足で「緊急事態宣言」を出していたことが国土交通省への取材で分かった。各機が一斉に新たな着陸先を探し、管制機関が混乱したことも一因となった。同省は管制システムを改良していく方針でいる。▼39面=受け入れ態勢に不備 緊急事態宣言は機体やエンジンの故障や火災、燃料不足など緊迫した状況となった時、着陸の優先権を得るために出す。燃料不足で14機が宣言を出したことについて専門家は「世界的に例がないのではないか」と指摘する。
 同省などによると、地震の後、成田と羽田が一時閉鎖されたため、両空港に向かっていた86機(国際線70、国内線16)がそれぞれ別の着陸先を探した。航空機は悪天候に備えて目的地以外の代替空港を決めて飛んでいる。ただ、この日の天気が良かったため、86機のうち78機は、成田が目的地の機は羽田に、逆の機は成田を代替空港にしていた。ほとんどが大型の航空機で両空港がともに使えなくなり、長い滑走路がある中部や関西などを目指した。このため、より多くの燃料消費を強いられることになった。
 86機が着陸先を探したため、管制の混乱も生じた。米北西部のポートランド発成田着予定のデルタ航空91便は、中部空港に向かっていたが、空港が満杯のため引き返すよう管制から指示を受け、新千歳に緊急事態宣言をして着陸した。
 緊急事態が連鎖する例もあった。釜山発の日本航空958便とダラス・フォートワース発アメリカン航空175便が緊急事態宣言。2機を優先させたことから淡路島上空で待機していた上海・浦東発日本航空874便が待ちきれず、自らも緊急事態宣言をして関西空港に着陸した。
 同省によると、緊急事態宣言を出した14機が予定より超過した飛行時間は最長が2時間20分。そのほか、1時間半以上が3機、1時間以上1時間半未満が4機、1時間以内が3機、不明が3機だった。

着陸後に残っていた燃料について、航空各社は「社外秘」などとして明らかにしていない。(小泉浩樹、渡辺周)

 着陸変更、調整しきれず 国交省、緊急時の管制に不備 震災当日14機緊急事態

 東日本大震災の直後、飛行中の航空機14機が緊急事態宣言を出していた。多くの乗客の命が危険にさらされた背景には、本来取るべき空港の受け入れ態勢の不備があった。▼1面参照

 成田・羽田の両空港に向かっていた86機が滑走路の点検による一時閉鎖で行き場を失った時、各機の機長は別の着陸先を探した。だが中部や関西は着陸希望が重なり満杯に。他空港を探すか、緊急事態を宣言して着陸しなければならない状況になった。最終的に国内の13空港・基地に着陸した。
 飛行場がどれだけの飛行機の着陸を受け入れられるかは、地上の駐機態勢によって決まる。こうした着陸変更が相次いだ場合は、規定により、国土交通省の航空交通管理センター(福岡市)が、飛行機の着陸要求の多さに合わせて、1~3まである空港のフェーズを切り替えて駐機できる数を増やすことになっている。
 フェーズ1では乗客が通常乗り降りする駐機スポットの使用のみ。だが2では、それ以外に洗機場やエンジンの試運転場、3は全ての空きスペースに飛行機を駐機してもよく、滑走路が2本あれば片方を閉鎖して駐機用に使ってもよいとされている。フェーズを2や3に上げるのは異例だ。
 今回、センターは各空港のフェーズを2までしか上げなかった。しかも、成田・羽田から主要空港で最も近く各機の希望が重なった中部には、フェーズ2で使用できる洗機場やエンジンの試運転場がなく、実質的には1と同じだった。

 センターがフェーズ3に上げていれば、「満杯」だと受け入れを断られて他空港を探す必要はなかった可能性が高い。全日空オペレーション統括本部の担当者は「フェーズがきちんと上がっていればもっとスムーズにいったはずだ」と指摘する。国交省航空局の蒲生猛・交通管制部長は「一度に複数の空港が使えず着陸変更が多数出る場合のシミュレーションをするなどして、管制システムを本気になって改良していきたい」と話している。

 ●「パイロットと緊張感共有を」
 元日本航空の機長で航空評論家の小林宏之氏の話 1日で14機が緊急事態宣言をしたのは、戦争は別として、世界でも例がないのではないか。機長はキリキリ胃が痛んだだろう。国交省は空港の受け入れ態勢を最高レベルに上げてどんどん着陸させるべきだった。また、管制の指示が変わるのは特に危険だ。燃料が切れれば墜落するというパイロットの緊張感を共有し、航空会社と国交省は非常時の危機管理を再検討すべきだ。

 —–緊急事態宣言を出した14機—–

便名        出発地         目的地 着陸地
エアドゥ34    旭川          羽田  中部
日本航空1154  帯広           〃   〃
全日空206    パリ          成田   〃
全日空7      サンフランシスコ     〃   〃
キャセイ2026  香港           〃   〃
日本航空958   釜山           〃  関西
日本航空874   上海・浦東        〃   〃
アメリカン175  ダラス・フォートワース  〃   〃
デルタ91     ポートランド       〃  新千歳
デルタ619    ミネアポリス       〃  横田基地
デルタ295    シアトル         〃   〃
ユナイテッド875  〃           〃   〃
ユナイテッド879 ホノルル         〃   〃
日本航空736   香港           〃  羽田
 (国交省調べ)

 

 

 

One thought on “「備えなく憂いも深く」・・・安全とは、バックアップの厚み!
  1. 乗客としては、余分な燃料は多ければ多いほど良いとおもえるが、搭乗者数、貨物、食事等の積載もあり、航空会社により決められているようだ。代替飛行場にいけるだけは最低のようですが、経済的理由もあり、妥協(妥当)の産物で決められる。昔は航空会社(米国)の隠語として「ママのためのプラスアルファーの燃料」を入れる会社もあったようです。
     また飛行場により、滑走路距離から最大積載重量がきめられ、40年ほどまえになりますか、大阪伊丹飛行場でJAL最終便羽田行きが飛べなくなったことがありました。

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