胸のすく、山崎養世さんの「人民は弱し、されど官吏は強し」

~誰もが、政府の対応に「いらいら」しました~

薬害肝炎に対しての政府の対応には、国民こぞって「深いため息」と「やり場のない怒り」を感じたものと思います。こうした中で、山崎さん のコラムは、事実とヒストリイーに光をあてて、「問題の核心」を突き、「誰が責任をもってことにあたるべきか」を示してくれています。鋭い中にぬくもりも体感できる指摘と感じました。 ご紹介いたします。

人民は弱し、されど官吏は強し!
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《政府は薬害肝炎の立派な加害者だ》
 清水寺のお坊様が書いた今年の世相を現す字は「偽」でした。確かに、偽に明け偽に暮れた一年だったですね。伝統ある銘菓だと信じて賞味期限が過ぎ たお菓子を買った人はだまされました。消費者をバカにした話でした。
 ただ、賞味期限が切れた赤福や白い恋人を食べて命を落とした人は、報告さ れていません。

 一方で、年末にかけて、お菓子とは比較にならない巨大で危険な偽が、改め て注目されました。薬害肝炎のために、多くの国民が命を落とし、責任者で ある企業や国は知らんぷりをし、20年も救済も謝罪もろくに行われず、健康 は蝕まれ、生活も人生も破壊されてきたのです。

 しかも、政府は、今も国民への責任を放棄しています。担当大臣が被害者に 顔を合わせないように会見場から逃げたことを批判されてから、泥縄のように 救済策というものを出してきました。被害者の方々は救われません。

《被害者が弱るのを待っているかのような政府の対応》
 国民の命を守ることは、国家のもっとも基本的な役割です。でも、薬害エイズ や北朝鮮の拉致事件のように、国民に被害が発生していることがわかっていながら、勇気ある被害者やジャーナリストや政治家の告発があるまで、政府が 被害を放置することが続きました。

 しかも、薬害の場合は、政府は被害を最小限にするどころか、問題を隠して 被害を拡大し、責任を回避し、訴訟を通じて被害者と敵対し、ただでさえ苦し い被害者を追い詰めてきました。政府が立派な加害者です。

 確かに、薬は本来リスクを伴います。副作用や思わぬ危険は、薬の宿命かも しれません。薬が救うはずの命と薬害とのバランスもあるでしょう。

 しかし、薬害が発生したときに、薬を認可した政府は、早く薬害の事実を知らせてそれ以上の被害を防ぎ、それまでの被害者を救済するのがつとめです。

 ところが、今の政府は、事実を隠し、被害者を放置し、被害者が多大な負担を強いられる裁判のプロセスまで、何十年でも責任を取らないのです。訴訟する被害者は個人です。訴訟を受ける国は、税金を使っていくらでも控訴し上告します。

 まるで被害者が弱るのを待っているかのようです。まさに「人民は弱し、されど官吏は強し」です。これでは、我々のうち誰が将来の薬害と政府の被害者になるかわかりません。

《問題の根底にあるものは薬害エイズと同じ》
 国が製造承認し、健康保険の適用を受け、全国で投与された血液製剤フィブリノゲンが薬害肝炎の原因です。C型肝炎ウイルスに汚染されたフィブリノゲンが29万人もの人に投与され、そのうち1万人の人がC型肝炎を発症したと推定され、またC型肝炎からは肝臓ガンから死にいたる危険が相当に高いと推定されています。多くの人命が奪われ、さらに多くの人の健康と人生が破壊されています。

 フィブリノゲンを独占的に作ったのが、ミドリ十字でした。薬害エイズの原因となった血液製剤を作った会社です。

 当初、日本ブラッドバンクという名前でスタートしたミドリ十字は、手術での輸血や止血などに使われる血液製剤の分野のトップ企業でした。 血液製剤が薬品と同様に健康保険に指定され、ミドリ十字は大きく成長しました。

 ミドリ十字は、戦時中に毒ガスや生物兵器を開発し、中国人や朝鮮人、さらに捕虜となった米国人兵士に対して人体実験を行って、多くの人を殺したとされる関東軍防疫給水部731部隊のメンバーが中心になり、陸軍軍医の内藤良一をトップに戦後に作られた会社です。

 731部隊関係者は、米国に人体実験の研究資料を提供するのと引き換えに、戦犯としての訴追を免れたといわれています。

 薬害エイズと薬害肝炎の原因は同じです。原料の性格が同じだからです。

《1974年になって「C型」の存在が初めて報告された》
 血液製剤の原料として、ミドリ十字が米国で買い付けた血液は、刑務所や売春者や麻薬中毒患者が売った血が多く混じった売血でした。売血から一定の処理をして血液製剤を作り、健康保険の適用を受けて全国で販売することでミドリ十字は大きな利益を上げていました。

 しかし、原料の売血の中には、C型肝炎ウイルスやエイズを起こすHIVウイルスが含まれていました。ミドリ十字が、フィブリノゲンの製造承認を当時の厚生省から受けたのは1964年でした。この年に日本で輸血を受けたライシャワー大使が肝炎になったことからも、当時から、売血から作った輸血用血液から肝炎になる危険は医学会では知られていました。

 米国では、1974年にはB型肝炎ウイルスとは全く関係の認められない潜伏期の長い輸血後肝炎が存在することが報告され、A型肝炎とも関係なく、第3の病原候補として「型」と呼んだのがC型肝炎の始まりとされ、肝臓ガンから死にいたる危険な病気であることが明らかになりました。

 これから先の経過は錯綜しています。1977年には、米国食品医薬局(FDA)はB型肝炎感染の危険があるとして、フィブリノゲン製剤の製造承認を取り消しました。この情報については、ミドリ十字は社内で回覧していましたから組織として認識していました。

 さらに、当時の国立予防衛生研究所の血液製剤部長が、自著の中でFDAによるフィブリノゲン製剤の製造承認の取り消しについて書いています。

 しかし、ミドリ十字も当時の厚生省もフィブリノゲンの認可・販売を続けました。

《肝炎被害を放置してきたことこそが大きな問題》
 重大なのは、C型かB型かを問わず、輸血による肝炎の被害が発生していることが放置されてきたことです。

 20年前の1986年から翌87年にかけて、青森県で出産のときの出血を止めるために、フィブリノゲンを使った産婦人科で肝炎の集団感染が起き、新聞報道されて社会問題になっています。

 そのころから、政府が責任を持って血液製剤のリスクについて告知し、被害者の救済に動いていれば、ここまでひどいことにはならなかったでしょう。

 どんな病気でも早めの治療が鉄則でしょう。しかし、現実は逆でした。ミドリ十字を吸収した三菱ウェルファーマ(現田辺三菱製薬)は、2002年に、フィブリノゲンからC型肝炎に感染した418人のリストを厚生労働省に提出しました。

 すぐに、インターフェロンなどの治療によって命を救うのが必要な人たちです。ところが、このリストは今年の10月まで放置されました。その間、多くの方が亡くなりました。治療していれば救えた方もいたでしょう。

《患者全員の救済は金銭的に無理という唖然とする論理》
 これだけのことが明るみに出ても、総理大臣も厚生労働大臣も、耳目を疑うような言動を続けてきました。裁判所の和解も理解しがたい内容でした。お金がかかりすぎるから、患者全員の救済は困難で、訴訟の原告になった人だけにするというのです。

 裁判の原告になったかどうかで、被害の事実が変わるのでしょうか。
 1000人だから予算が少ないとか、いやもっと多くなるから切り捨てるとか、国民の税金をムダづかいできないとか、不可解な解釈が平然と並びます。 唖然とします。

 加害者である国が、被害者の数が多すぎるから減らせ、責任は取らないと言っているのです。

 一方で、政府は、金融システム安定化のためと称して、経営に失敗したり放漫な貸付をしたりした銀行に、金銭贈与をしたり資産買取などによって46兆円もの公的資金を投入しました。

 ところが、自らが承認し健康保険の適用範囲であった薬害に対する被害には最低の保障もしないというのです。

 これが民間企業の場合であれば、1000人を超える国民が死亡または深刻な一生の健康被害のある食べ物を作り販売し、その事実を20年にわたり隠し、救えるはずの国民が亡くなっていたとして、そんな会社が許されるでしょうか。被害が大きすぎるから金を負けてくれ、と言ったらどうなるでしょうか。ワイドショーで経営者は非難轟々、集中砲火を浴びるでしょう。

 ところが、薬害肝炎については、テレビの取り上げ方も何か他人事のようです。訴訟の結果と政府の対応を淡々と取り上げています。

 政府だから許されるのでしょうか。マスコミの基本機能が、国民に代わって事実を調査し、報道することであるとすれば、もう一度、薬害肝炎の問題についてきちんとした情報提供をするべきでしょう。
 そして、もちろん、政治の場でのきちんとした議論と行動が必要になります。

《各分野で薬害被害を最小限にする対応作りが重要》
 感情的な対応をしろ、というのではありません。構造的に被害を最小にする道を探るのです。薬害が発生したときの、迅速な対応体制を作ることです。

 まず第一は、責任追及の前に、情報を公開し、被害者を探し、一刻も早く手当てをすることです。 その次には、原因の究明です。学術的な誤りか、製造責任か、医療側の責任か、あるいは患者側の問題か、といった究明です。それによって、対応策が決まってくるはずです。

 裁判のあり方も変えるべきです。国が資金力と人材を生かして何度も判決が出てもさらに訴訟をするのではなくて、敗訴の判決が出た時点で集団的に被害者を救済することです。

 官僚機構の人事のあり方も変えるべきです。薬害を発見し対応した人たちを、高く評価し、人事上も昇進させるべきです。先輩たちの業績に泥を塗ることではないのです。日本の医療の改善への貢献として受け止めるべきです。

 今、問題に取り組む人を評価しなければ、過去の問題に取り組むのが難しくなります。単なる個人攻撃は、将来の隠蔽を生むでしょう。
 マスコミも政治家も国民もこの点を大事にしないと、良心を持つ官僚が国民のために働くのが難しくなります。

《国民本位の医療という原則を再確認するとき》
 ただ、薬害があるから日本の医療がダメだ、とは思いません。
 日本は、WHO(世界保健機関)の評価にもあるように、全体としては米国などより質の高い医療を、米国などに比べて低い対GDPのコストで提供しています。

 その最大の証拠が世界最高の長寿国であることです。長寿社会の負担や混合診療を一切認めない不合理などで揺らいではいるものの、国民誰でも医療を受けられるように皆健康保険を実施しているのは、戦後の政府の大きな功績です。

 健康保険のない国民が多くいて、お金がなくて命を失う国民が多く、それでも医療費のコストが高い米国式の民間の市場原理の医療保険の仕組みを、日本が全面的に取り入れる必要はないでしょう。

 しかし、日本の医療も、薬害を契機に、国民本位という原則を再確認すべきときでしょう。

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